ゴーミョーワインガイド2005で「今年の注目すべき新人」として選ばれたフランク・パスカル。しかし、その道のりは 簡単なものではなかった。ネゴシアンの圧力に対抗するべく村の造り手達の力を結集して、おじいちゃんが創設したカーヴ・コペラティブ(協同組合)を、父親が、我がドメーヌとして瓶詰めしたいという意志のもと脱退したのが1986年。
子供の頃のブドウ畑にまつわる思い出といえば、雨、雹、寒いというものだけ。ワイン造り以外の道という条件で最終的に選んだのが工業機械学。しかし、跡継ぎとしての道を
進んでいた兄の突然の事故死が全てを変えた。 フランク・パスカルは、途中だった学校を辞め、畑仕事に繰り出すこととなる。しかし、94年、父親から畑をレンタルし、自分のキュヴェを作り始める当初から気になっていた化学肥料の使用を徐々にやめていく。
周囲の造り手達も一緒に有機栽培の方向へ進むことで、少しでも環境に貢献しようと考えた。しかし、かのシャンパーニュの地で、金のなる木にリスクを犯す提案は狂気の沙汰とらえされした。
若きフランク・パスカルは自分の信じる道が本当に正しいのか、このまま進んでいっていいのかという自問自答を繰り返し、一時精神的にギリギリの状態まで行ったという。現在、時代の流れとともに、自分の道は間違っていなかったと落ち着きを取り戻しビオディナミに移行中。
今年から醸造にビオ・シャンパーニュの醸造では飛びぬけた実力を持つ、デュヴァル・ルロワの醸造長であったヘルヴェ・ジュスタン氏をコンサルタントに向かえ、更なる飛躍が期待されています。
<インポーター資料から> |